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散歩の凡人26 日暮里その二

猫狂いのアトリエ

文・写真=

updated 10.05.2015

谷中銀座に向かうには急な勾配を下っていくことになるが、その前に左手の路地に入り、朝倉彫塑館をのぞくことにする。2009年から2013年にかけて耐震補強工事と保存修復工事が行われていたため、暫くの間、入館できなかったのである。

朝倉彫塑館は彫刻家・朝倉文夫のアトリエと住居だった建物で、現在は美術館として公開されている。朝倉は1883年(明治16年)に生まれ、1964年(昭和39年)に没した。この土地に住まいを構えたのは1907年(明治40年)。東京美術学校卒業後、24歳の頃であった。同館の案内にいわく、「当初は小さなものでしたが、その後増改築を繰り返し、1928年(昭和3年)から7年の歳月をかけて手を入れたものが現在の朝倉彫塑館です」。現在の建物は1935年(昭和10年)頃に完成。設計を手がけたのも朝倉である。

玄関からアトリエに入ると、天井が高く、抜けのよい空間が広がっている。ガラス窓から陽光が差し込み、板張りの床と相まって、柔らかな空気が満ちている。かつてアトリエだったこの部屋には、いまはさまざまな立像が立ち並んでいる。朝倉は東洋のロダンと呼ばれていたそうだが、たしかにどの人物像にも有無を言わせぬ力強さが溢れている。

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但し、凡人の趣味からすると、これらの堂々たる量塊(マッス)には鬱陶しさを覚えないでもない。と、そんなことを考えながら、脇を見やると、愛らしいペンギン像が佇んでいる。くたびれているのか主人の命令を待っているのか、伏せたままの姿勢をとっている犬もいる。さらにこの後、凡人は別室で豚や猫に対面することにもなる。これら動物を象った彫刻には、形態を写し取ることの歓びが素直に現れていて、心和むものがある。

とりわけ猫の彫刻は異様に多く、朝倉の生前、東洋蘭のための温室として使われていた部屋は、猫尽くしと言いたくなるほど、多彩な猫彫刻があれやこれやのポーズをとっており、見ていて飽きることがない。朝倉は10匹以上飼っていたこともあるくらい猫が好きだったようで、晩年には100点もの猫彫刻による猫百態を夢想していたともいうから、こうなってくると猫狂いと呼んだほうがいいのかもしれない。来るべき猫の美術史には猫彫刻家としての朝倉文夫に1章が割かれることになるだろう。

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アトリエや書斎は洋風の造りになっているが、住居として使用していた部分は純和風である。伝統的な様式を踏まえつつ、朝倉の強い思い入れがそこかしこに散りばめられていて、彫刻作品とはまた異なるやりかたでの空間操作がうかがえる。たとえば居室部分はこんなふうである。

高級建材の神代杉の舟底天井、胡麻竹を四角く細工した障子の桟、自ら考案した煎茶の道具入れと唐物箪笥による置き書院などから、材料と細かなディテールへの朝倉のこだわりと巧みな職人技の融合を見てとることができます。(中略)一般的な価値観にとらわれない、自らアサクリックと称した朝倉流数奇屋の思想とかたちがここに繰り広げられているといってもよいでしょう(『朝倉彫塑館ミニガイド』)

朝倉の猫狂いを好ましく思う凡人は、こうした独自の数寄屋造りにも、猫のように自由気ままな姿勢を感じてしまうのである。

屋上に上がると、大きなオリーブの木が植えられており、意表を突かれる。谷中霊園の向こうに東京スカイツリーが高々と聳え立っている様子も見える。ここは眺めが良い。ちょうど玄関の真上に当たる場所には、上半身裸でキャップを後ろ前に被った青年像が鎮座しており、見ようによっては西海岸あたりのラッパーやスケーターのようでもある。無論、そんなことがあるわけもなく、説明書きを読むと「砲丸」という題が付けられているから、この作品のモデルは明朗快活なスポーツマンだったはずである。

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