燕湯を出ると時刻は12時。ちょうど昼飯時である。この時間になるともはや朝酒でもなんでもないが、風呂ついでにビールを一杯ひっかければ、凡人も小原庄助さんになれるであろうか。その前に潰すだけの身上がなければ話にならない。
御徒町駅南口はいつのまにか広場として整備されていた。2012年(平成24年)におかちまちパンダ広場としてオープンしたそうである。パンダの愛らしさとはうらはらにサラリーマンや中年男性の姿ばかりが目につく。鮮魚で有名な吉池も真新しいビルに変わっていて、2014年(平成26年)に改築したばかりのようである。地階から1階(の半分)は吉池本店、1階(のもう半分)から6階まではユニクロが入っている。9階の吉池食堂で魚料理を食べるという手もあったが、このあたりはとんかつの名店が点在していることだし、今日はとんかつにしよう。
凡人はとんかつが好きである。ただし2000円以上のとんかつは食したことがない。であるから御徒町近辺のとんかつ御三家には足を踏み入れたことがない。御三家とは、ぽん多本家、蓬莱屋、双葉のことで、このうち双葉はもう閉店したと聞く。もうひとつ、井泉本店もとんかつ愛好者に人気が高い。
蓬莱屋は映画監督の小津安二郎が通った店として有名で、貴田庄の『小津安二郎の食卓』(ちくま文庫)や『小津安二郎 東京グルメ案内』(朝日文庫)によれば、小津の日記にその名が頻繁に出てくるそうである。
「蓬莱屋の日記への登場回数は多く、すでに一九三三年一一月二三日の欄に「ほうらいや」という名が見受けられる。そして『秋刀魚の味』において、佐田啓二と吉田輝雄がとんかつを食べるシーンはセット撮影であるが、それはまるで蓬莱屋の二階に二人がいるような印象を与えるセットを組んでいることが、蓬莱屋でとんかつを食べた人ならすぐわかる」(貴田庄『小津安二郎 東京グルメ案内』)
『秋日和』の冒頭ではとんかつ談義が交わされ、登場人物の一人が「松坂屋の裏のとんかつ屋へはよく行くんですがね」と語るらしいが、この松坂屋の裏のとんかつ屋とは蓬莱屋を指している。これも貴田の本で教えてもらった。
松坂屋の裏手には路地が残り、蓬莱屋も昔風の構えを保ちながら営業を続けている。創業は1914年(大正3年)というから2014年に100周年を迎えたということか。引き戸を開けると、7〜8人も座れば満席になってしまうような、こぢんまりとした木のカウンター。昼時で混んでいるかと思いきや、幸い2席ほど空いており、右手奥に座る。
ひれかつ2980円、一口かつ2980円、東京物語御膳2460円、串かつ1950円。小津が愛したというひれかつを注文する。東京物語御膳というのは、小津の映画にちなみ、後年に考案されたものだろう。
蓬莱屋のひれかつは、一般的な平たいかつとは異なり、かなり厚みがあり、棒状と言ってもいいくらいである。だからカウンターの内側では、揚げたひれかつを調理人のひとりが、転がらないよう金串で押さえつけるかたちで安定させ、もうひとりが包丁でさくさく切り分けていくという光景が見られる。大の男が二人がかりという手順に、十手を手にした岡っ引きの親分と子分が、小悪党を引っ立てる姿を連想したものの、勿論、ひれかつは悪者ではない。
お待ちかねのひれかつ登場。白い皿のほぼ中央に揚げたてのかつを並べ、脇にはキャベツの千切りをたっぷり添えるという、このシンプル極まるスタイルは、とんかつの美学を体現しているようにも見え、細かいことだが、よくあるにぎやかしのパセリが無いことに、凡人は深く感じ入ってしまう。なるほど、この余計なものをいっさい省いた潔い仕立ては、小津安二郎にふさわしいように思う。とんかつの中に小津を見出してしまった。
ひれかつそのものは美味しく、たいへん満足したのだけれども、凡人は席を立つたび頭上のランプに何度も頭をぶつけてしまった。取り付け位置がすこし低いようにも感じるが、しかし繰り返し頭をぶつけるごとにカウンターの中にいる職人二人が申し訳ないといった表情でゆっくり頭を下げ、その身振りがまるで小津作品の一場面みたいでもあったから、映画の中に入り込んだような愉快な気持ちになったことを付け加えておく。