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散歩の凡人25 日暮里その一

馬賊、山羊革、アナグラム

文・写真=

updated 09.28.2015

日暮里駅の東口方面はロータリーになっていて、向こう側には「馬賊」という看板が見える。ここは凡人が学生だった頃から営業している店だが、聞くところによると、1980年代中盤にはすでにこの地で店を構えていたらしい。30年以上も続いているということか。

なぜ馬賊という店名にしたのか尋ねたことはない。創業者が馬賊の末裔だったら愉快である、と勝手に想像しているだけである。何にせよインパクトのある名前であり、それゆえ凡人にとって日暮里のイメージは、このラーメン屋によって決定づけられている。馬賊で腹ごしらえをして、まずは日暮里繊維街を歩いてみる。

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日暮里繊維街は、服飾関係の人間やファッション関係の学生、あるいは裁縫やハンドメイドが趣味の女性には有名な街であるが、凡人とはまったく接点がない。店頭に並ぶ布地やボタンをぼんやり眺めるだけである。皮革を扱っている店の前に「大特価! 山羊革1頭分 な…なんと1枚1000円 早い者勝ち! だぜ〜」というポップが掲げられており、ここで山羊1頭分が意外と小ぶりだということを知る。だいたい山羊革など何に使うのか。見当もつかない。

通りの真ん中あたりに婦人用の帽子を扱っている店があり、素材を売っている中、こうした商品が並んでいるのは珍しい。店員は浅黒い肌をした外国人男性。掲げられている案内書きによれば、この店は日本製ミシンに感動したイランの少年が、長じて来日し、リボンや手作りの帽子を売り始めたのが始まりだそうである。少年時代の逸話をアッバス・キアロスタミがドラマ化したらどんな映画になるだろう。

店内では60代くらいの女性客2人があれこれ熱心に物色している。この店の帽子にはおばさん心をくすぐる何かが潜んでいるようだが、おじさんである凡人にはよくわからず。店舗面積が小さいから、凡人のような冷やかし客は邪魔である。早々に立ち去る。

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繊維街をぐるっと一回りして、再び駅前に戻る途中、エドウインの看板が出ていて、どうやらエドウイン本社は日暮里にあるようである。後日、社史を確認したら、

1947年常見米八商店創業。米軍払い下げ衣料品の卸しを始める。後に日本初の中古ジーンズの輸入を行う。1961年アメリカからデニムを輸入、国内縫製を始める。『エドウイン』が誕生。EDWINはDENIMのアルファベットを自由に並べ換えた社名

などとある。こんなところでアナグラムに出くわすとは。それにしたって「M」をひっくり返して「W」に見立てるだなんて、シャーロック・ホームズや金田一耕助並みの推理力がなければわからないではないか。あっ、北区がすぐ隣にあるから、浅見光彦の名を挙げるべきであった。失敬。

山手線の線路を横切って谷中霊園の方に向かう。線路を横切ってと書いたが、日暮里駅の東西は下御隠殿橋という跨線橋で結ばれているから、正確には線路の数メートル上を渡ってということになる。橋の中央部分にはバルコニーが設けられており、その名をトレインミュージアムという。

跨線橋の下を通過する電車はおよそ20種類、1日平均およそ2500本もの電車が走行しているそうである。安全柵が設けられているから、こども連れでも安心して電車の行き交いを楽しむことができる。それにしても、なぜこどもは乗り物が好きなのか。「◯◯が来た!」とうれしそうに名前を口にしながら、電車の運行を見つめる少年。

跨線橋を渡り終え、そのまま直進すると谷中銀座、左手に上がっていくと谷中霊園がある。谷根千(谷中・根津・千駄木)と呼ばれる一帯は、いつのまにか観光地と化しており、日本人はもちろんのこと、近隣のアジア諸国からやってきたと思われる外国人観光客もよく見かける。脇道に入ると、オリンパスのデジタル一眼やミラーレスカメラを首からぶら下げたカメラ女子が、古びた建物や野良猫を撮っている姿もしばしば目にする。凡人はニコン派だったが、観察する限り、カメラ女子の間ではニコンは不人気のようである。

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