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散歩の凡人02 新橋編その二

「烏森駅」から初代「新橋駅」へ

文・写真=

updated 05.11.2014

途中でしんどくなったらさっさと劇場を出ればいいものを、律儀に洋画の二本立て、ピンク映画の三本立てにつきあってしまうというのは、貧乏性のなせる業。映画を楽しんだあとは、心地よい疲れを癒やすべく、ちょっと一息つきたい。行く店はたいてい決まっている。珈琲を一杯飲む程度なら、新橋文化劇場の近くにあるカフェトバコ。小腹が空いている場合は、ニュー新橋ビル二階にある喫茶室ポワ(軽食メニューがあるから)。どちらも新橋サラリーマン御用達の店。無論、探そうと思えば、このほかにいくらでも選択肢があるというのが、新橋のよいところ。
一服したら、高架下をくぐり汐留方面に抜けてみる。駅正面には新橋駅前ビル1号館が立っている。竣工は一九六六年、設計は佐藤武夫設計事務所。モダニズムの方法論を踏襲した建築だが、ビル全体のフォルムとバランスが独特で、この建物をみるたびに四次元怪獣ブルトンを思い出してしまう。
昭和40年代に建てられた物件だから、建物そのものが昭和の香りを放っている。一階に入っているカフェテラス ポンヌフも、昔ながらの喫茶店といった風情を色濃く残していて、この先も変わらない姿で営業を続けていってほしい(そもそもビルに入っている店のほとんどがそんなふうのだが)。ポンヌフのナポリタンは、むかしもいまも人気のメニューだが、だからといって、特別、美味しいわけではない。といって、不味いわけでもない。銀色のシンプルな皿に盛られた、ごく普通のナポリタンであり、その“普通さ”が、いまとなっては新鮮に映る(そういえば“普通のオムライス”や“普通のラーメン”も、わざわざ探さないと、食べられないものになってしまった)。
付け加えておくと、ポンヌフという店名は「新橋」をフランス語に訳したもの。同じように、JR新橋駅構内にはポンヌッフという立ち食いのそば屋がある。こうしたネーミング、『ふらんす物語』の永井荷風なら何と評しただろう。荷風はカツ丼が好物で、健啖家として知られているが、蕎麦はともかく、ナポリタンを食べたことはあったのかしらん。
散歩の凡人の先達、永井荷風の生年は1879年(明治12年)。荷風が生まれる六年前、1872年(明治五年)10月14日に、新橋駅と横浜駅の間で日本初の鉄道が正式に開業した(なお、6月12日の時点で、品川駅と横浜駅の間では仮営業を行っていた)。
当時の新橋駅と現在の新橋駅は、実は異なっている。現在の新橋駅は1909年(明治42年)に開業した「烏森駅」が前身。初代「新橋駅」から200メートルほど西側にあった。初代の新橋駅が汐留駅となり、烏森駅が新橋駅に改称されたのは、1914年(大正3年)のこと。うーん、ややこしい。ちなみに山手線という呼び名は、1901年(明治34年)、品川線(品川駅-赤羽駅間)と豊島線(池袋駅-田端駅間)の統合によって生まれたようだ。
などと知ったふうなことを書けるのは、「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」のおかげ。初代新橋駅の跡地に当時の駅舎が再現され、その一角に歴史資料を展示するスペースが設けられているのである。再現された駅舎の脇には、鉄道発祥の地であることを証だてする〇哩(ゼロマイル)標識もひっそりと立っていて、これは近代日本の始まりを告げる標識でもあった。

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