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散歩の凡人19 上野その一

日本一のピンク映画館、いまだ健在なり

文・写真=

updated 03.18.2015

アメ横を通り抜けると、頭上に山手線の高架が伸び、これが陽光を遮っているため、駅に渡る横断歩道のあたりはいつも薄暗い。正面に見えるのは上野駅の不忍口である。

上野公園側には線路と平行するかたちで小奇麗なテナントビルが並んでいるが、ここには昔、いつ建てられたのかもわからないような魔窟があり、その名を上野松竹デパートといった。凡人は地下にあった上野古書のまちをぶらぶらするのが好きであった。魔窟ゆえ老朽化も凄まじかったのだろう、2014年4月、上野の森さくらテラスに生まれ変わったそうである。

そもそも建物は3つあった、というか、あるようで、ここ数年のうちに、旧西郷会館がUENO3153に、旧上野松竹デパートが上野の森さくらテラスに、旧上野東宝ビルが上野バンブーガーデンに建て替わった。松竹や東宝という名前が示すとおり、映画館も入っていたが、いまは飲食店ばかり。

上野の森さくらテラスのプレスリリースに「『男はつらいよ』を観るならこの映画館、とまで言われた上野セントラル」という記述があり、これがなかなか面白いので、全文を引用する。なお、上野松竹デパートは、当初、上野公園デパートと言われていたそうで、文中の上野公園デパートとは上野松竹デパートを指す。ややこしい。竣工時期は1953年である。

竣工と同時に「上野公園デパート」2階で「上野松竹映画劇場」が開業。その後地下1階に「上野映画劇場」「上野名画座」、2階の「上野松竹映画劇場」の隣に「上野セントラル」を相次いで新設し、「映画の館」として多くの観客を動員した。竣工時には「君の名は(第二部)」が上映され、その後も「男はつらいよ」シリーズをはじめとして多くの作品が上映された。当時は「男はつらいよ」を観るなら、この映画館とまで言われ、松竹映画館の中でも最も人気があった。上野が東北や北陸地方からの玄関口であった時代、故郷へ帰省する人が始発を待ってオールナイトを観に来ていた時代もあった。しかし、「出稼ぎ列車」と呼ばれた夜行列車が減り、平成3年(1991年)に東北・上越新幹線の始発駅が東京駅になったこと、娯楽の多様化、シネマコンプレックスの登場、施設の老朽化などが要因で、平成18年(2006年)、53年の歴史に幕を閉じた。(「上野の森さくらテラス」報道向けページより)

 

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「上野が東北や北陸地方からの玄関口であった時代」とか「出稼ぎ列車と呼ばれた夜行列車」などと書かれているが、上野駅の上野広小路口には、集団就職(この言葉も死語か)の少年たちを題材にした歌謡曲「あゝ上野駅」(1964年)の歌碑もある。前を通りがかった時は、60代くらいの男性が熱心に見入っていた。 この歌を歌っていたのは井沢八郎。いまとなっては井沢八郎って誰だと思う方もいるだろう。工藤夕貴の父親である。工藤夕貴って誰だと思った方は、ツタヤなり何なりで『台風クラブ』のDVDをレンタルし、直ちに見るべきである。

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上記の引用文に登場する映画館はすべて消え失せてしまった。ああ、上野からついに映画館が無くなってしまったのであろうか。いいや、一軒だけ地道に営業を続けているところがある。不忍池のほとりに佇む上野オークラ劇場である。ただしここはピンク映画の専門館である。 経営は大蔵映画株式会社。日本映画史にその名を残す大蔵貢が創業した会社である。ここで大蔵貢について語る余地はないけれど、ピンク映画の全体像を知りたい向きには、二階堂卓也の労作『ピンク映画史〜欲望のむきだし』(彩流社、2014年)を推薦しておく。 上野オークラ劇場はいつ頃からあるのだろうか。大蔵映画の沿革をみても、あっさりとした記述のみで載っていないし、高瀬進『ピンク映画館の灯』(自由国民社、2001年)をめくってみても思い出話に終始している。どうやら1950年代初頭から営業を行ってきたようである(併設館および名称の変遷は煩雑なので割愛)。現在の上野オークラ劇場は2010年(平成22年)にリニューアルされたもので、そのため外観も内装も新しい。1階が「上野オークラ劇場」、2階が「上野特選劇場」。このご時世、ピンク映画の専門館を新装開店するのは英断なのか蛮勇なのか。日本一のピンク映画館と称するだけのことはある。

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上野オークラ劇場では、大蔵映画(の子会社であるオーピー映画)で製作したピンク映画を主軸に、他社作品を含め、新旧織り交ぜた3本立て興行を行っている。この日は次週の上映予告で『小松みどりの好きぼくろ』(監督:山本晋也、主演:小松みどり、1985年)のポスターが貼られていたが、数々の傑作名作、あるいは珍作怪作が目白押しの日活ロマンポルノから、こうした微妙な作品(小松みどり……)を選ぶあたりが上野オークラ流か。

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旧作はともかく、いまも細々とではあるものの製作され続けているピンク映画を盛り上げるべく、女優の舞台挨拶を企画したり、年に一度「ピンク大賞」の表彰式を開催したりと、この劇場にはピンクの殿堂としての矜持が感じられる。なお、2015年現在、都内でピンク映画を上映しているのは上野オークラ劇場、飯田橋くらら劇場、シネロマン池袋のみ。傍目にも青息吐息の業界といった印象がある。そういえば1990年代あたりまでは洋ピン(外国産のポルノ映画)も上映していたはずだが、いつのまにか洋ピンというジャンルそのものが消滅してしまった。

消滅といえば、以前、上野オークラ劇場では男性同性愛者向けのピンク映画も上映していた。こうした隙間を狙うような映画も大蔵映画(の子会社であるオーピー映画)は製作していたのである。薔薇族映画と称していた気もするが、実情は定かではない。ピンク映画専門誌「PG」の同人が、作家主義的に一部の監督をとりあげていたおぼえもあるが、これまた定かではない。同性愛者向けのピンク映画は、日本映画の傍流であるピンク映画のさらに傍流であり、日本映画史からこぼれおちている。おそらくジャンル映画としては絶滅寸前であろう。奇妙な映画(Queer Film)たち……。

2017年(平成29年)をめどに、松坂屋の南館が大型複合施設に建て替えられる。そこにはTOHOシネマズが入ることになっており、凡人はかつての映画ファンが再び上野に戻ってくることを、そして新しい映画ファンが上野に集うことを願う。

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