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散歩の凡人03 新橋編その三

未来の廃墟ツアー

文・写真=

updated 05.18.2014

旧新橋停車場が再現された一帯は、2004年に誕生した再開発地区で、だから現在、汐留といえば、いくつもの高層ビルがそびえ立つ汐留シオサイトのことを指す。こうした名称は港区の旧町名である汐留町に由来している。
電通本社ビルを筆頭に、汐留シティセンター、パナソニック電工東京本社ビル、日本テレビタワー、汐留タワー、東京汐留ビルディング、汐留住友ビル……等々、資料によれば、13棟のオフィスビルが立ち並んでいるそうだが、その光景はこどもの頃、雑誌の特集やSFマンガでみた未来像そのままだ。
2002年に完成した電通本社ビルのオフィス棟は、フランス人建築家ジャン・ヌーヴェルが設計したことでも話題となった。巨大な割にはのっぺりしていて、つかみどころがない。こうしたつかみどころのなさは、広告代理店という業態のありようを映し出しているようにも思えるが、もちろんこれは穿った見方にすぎない。
シオサイト側から首都高速道路を挟んで海岸道路の反対側を眺めると、中銀カプセルタワービルが見える。竣工は1972年、設計は黒川紀章が手がけた。カプセル(部屋)がレゴブロックのように積み重なったメタボリズム建築の傑作である。築40年以上が経過しているため、老朽化が進み、立て替え問題が取り沙汰されているものの、建築を学ぶ学生たちがいまも見学に訪れている。見学といっても、外観を眺めるほかないのだが、それでも、このあたりを通るたび、カメラをぶら下げた研究者らしき外国人に出くわすことが多い。
メタボリズムは、1960年、東京で開催された世界デザイン会議をきっかけに誕生した。建築評論家の川添登に加え、浅田孝、菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、栄久庵憲司、粟津潔、槇文彦といった建築家たちが、共同で『METABOLISM/1960〜都市への提案』を発表したのだった。このときメタボリストたちは、新陳代謝する都市のイメージを打ち出したのだが、これは日本社会の経済成長を背景に、SF的な想像力を建築論的・都市論的に拡張しようという試みだった。
中銀カプセルタワービルも新陳代謝する建築として構想された。だから、レゴブロックのように積み重なったカプセル(部屋)は、交換可能な構造になっている(とはいうものの、これまで一度も交換されたことはない)。ちなみに、森美術館で開催された回顧展「メタボリズムの未来都市展」のために、一個だけカプセルが取り外され、六本木ヒルズの敷地内で公開されたことがあった。エキシビション終了後は、埼玉県立近代美術館に寄贈され、現在は同美術館が立っている埼玉県立北浦和公園内にぽつんと設置されている。未来都市の夢のかけらが、東京郊外のベッドタウンにあるという光景もまた、SF的な想像力を刺激してくれる。
メタボリストたちの先輩格にあたる丹下健三も、彼らの理念に共振した建築を手がけている。新橋駅の近くに立つ静岡新聞・静岡放送東京支社だ。竣工は1968年。こちらの外観も特徴的だけれども、中銀カプセルタワービルのように新陳代謝を想定した構造になっているわけではない。中心の円筒部分(コア)を中心に、箱型の部屋(ユニット)が付随しているかたちだから、コアが樹木のようにどんどん伸びていくのにともない、ユニットも増殖していくイメージを思い描いていたのだろう。しかしこれは、あくまでもイメージのレベルに留まっている。よって、黒川と丹下のメタボリズム対決は、黒川の中銀カプセルタワービルに軍配を上げたい。
メタボリストたちが提唱した都市計画や建築は、良くも悪くもダイナミズムにあふれていた。それは彼らが未来を信じていたから可能になったものだ。いま振り返ると、“未来”という考え方は、高度経済成長から大阪万博開催に至る時期に突出していただけで、もしかすると、それほど普遍的な概念ではなかったのかもしれない(すでに未来という概念は瓦解している)。アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』には、未来都市の光景として東京の首都高速道路が登場する。この映画の製作公開は1972年。奇しくも中銀カプセルタワービルの竣工と同じ年だ。SFファンには、汐留シオサイトという“退屈な未来”から、中銀カプセルタワービルと首都高という“未来の廃墟”を眺めていただきたい。時空が歪んでいるかのような、奇妙な遠近法が愉しめるはずだから。

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